http://kote5120.blog.shinobi.jp/%E6%8A%80%E8%A1%93-%E6%89%8B%E6%B3%95-%E6%A4%9C%E8%A8%8E-%E8%80%83%E5%AF%9F/%E3%80%8C%E5%AD%A6%E3%81%B6%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E3%81%93%E3%81%A8「学ぶ」ということ
人はいろいろと学んでいる。
それは人生に不要なことから
人生に欠かせないものにまで及ぶ。
機械に人間の真似事をさせようとしたら
どれだけ大変なことになるだろう。
QRIO,知性の獲得へ まず赤ん坊から始める(Tech-On!)
それに取り組む人たちがいる。
かなり古い記事だが、
ネタメモが腐ってしまうので書きます。
そして引用させていただきます。
まるで,かわいい赤ん坊が目の前にいるかのよう。最初は手を動かすことしかできなかったQRIOが,説明員から手取り足取り動作を学ぶうちに「ボールを転がす」「ベルを鳴らす」といった遊びを覚えだす。赤ん坊を教え育てる楽しみを体感できる,新たなエンターテインメント・ロボットの可能性が見えた。
ボールを転がすことやベルを鳴らすという、
それらの動作を
「遊び」
だと説明されている。
これは僕にとって非常に興味深いことだ。
ボールやベルで「遊ぶ」ために
まず「学ぶ」必要がある。なんか不思議。
人間はたしかに遊びを学ぶ。
そして覚えたら・・・遊ぶんだ。
遊びは人間にとって楽しいものだ。
人間だけじゃなく、動物全般かもしれない。
つまり楽しむために学ぶ。
それ以外にも、
・働くために学ぶ
・効率を上げるために学ぶ
・原因を知るために学ぶ
など、いろいろあると思う。
ってことは学ぶための動機はいろいろあって、
自分にとって最も影響する要因が何か、
それがわかれば、
人生という有限の時間において
学ぶことを優先的に行なえるようになる。
いや、ならない。
なぜなら学ぶのは動機のためであって、
動機は自分が多くの時間を費やすことだから。
学校のテストは解答の内容が全てだ。
多くのテストは1つの答えしか用意されていない。
一見、学校では解答のために勉強するわけだが、
生きる上で出てくる問題というのは
・答えが複数
・適切な教科書が無い場合がある
・答えが無い場合がある
・解法がたくさんある
という場合が多いんじゃないかと思う。
そして話は変わるが、
ただ真似するだけの機械は恐ろしいと思う。
人間は目や耳で感じ取った情報で
学んでいると思う。
いや、もっと複雑なんだ。
熱や痛みを感じることができて、
それらの感覚を記憶できるから、
危険なものかそうでないか、2回目から判断できる。
正確には2回目じゃなく、
同じような物事を頭の中で想定して
危険度の予測をすることができる。
なんだかごちゃごちゃしてきたけど、
冒頭のQRIOがしていることは
・QRIO自身に動機があるのか?
・「危険を予測できない」という危険性は大丈夫か?
など、不安な部分が多い。
たとえばそのQRIOを改造して
殺人マシンを作れたりしないのか?
それと、深くは書かないけど
購入者の精神面について、
何か議論がなされたのだろうか?
メーカーが「ものをつくる」という
その役割を全うする中で
先進的な技術を生み出し製品に実装することは
非常に重要なことだと思う。
けどその先進的な技術を
受け入れる側の能力は十分か?
それでも買う人がいるなら
売ったもん勝ちか?
全然まとまって無い。
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