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心とは何か

アリストテレス 著 / 桑子敏雄 訳 / 講談社 刊 ということで唯脳論に続いてこの本を読んだ。

まず、この訳だが非常に読みづらい。
可能態、終局態とか、単位としての一とか、
形相的定義とか、心的状態は質料を含んで定義される、
等々、僕にとってはただ読むだけでもとても苦労した。

しかし読みにくいとはいっても
紀元前を生きた者が書いたとは思えないほど
現代の常識的な観念とずれていないし、
観察/分析/見解が素晴らしく、
2,000年以上経った今でも読めるということが
驚異的だと思う。

エジプト文明とかマヤ文明とかを見ても、
現代人を悩ませるような高度な技術を持っていたり、
何か我々の進む方向が本当に正しいのか、とか、
我々が持てる能力を十分使えていないのでは、と
思ったりもしてしまう。。。


目次は長過ぎるので割愛。

気になった点だけど、
読みにくいにしては多いと思う。
・諸元素の一つである憎しみを神だけが知らないのに、他の死すべき者はすべてを知っていることになる
・「正方形かとは何であるか」という問題に「不等辺直角形に等辺直角形が等しくなるようにすること」と答えるならば、このような定義は結論の説明である。
・ともかく、心は、一定の可能態においてある者の一種の終局態であり、定義内容であるということは、異常のことから明らかである。
・栄養摂取能力は、植物以外のものにもそなわっていて、心の能力の第一のものであり、またもっとも共通のもので、これにもとづいて「生きること」がすべてのものにそなわるからである。
・匂いは乾いたものに属する。ちょうど味が湿ったものに属するのと同様である。
・感覚的な心的表象のほうは、すでに述べたように、他の動物にもそなわるが、思案にかかわる心的表象は、推理能力のある動物にそなわる。


なぜ紀元前を生きた人間に
ここまで鋭い洞察力が備わっていたのか、
また逆に備わるに至ったのか、不思議でならない。
おそらく独りでこれだけの現象をとらえ、
考えることは出来なかったと思えるため、
研究者(?)同士に深い交流があり、
またいろいろな議論も活発に行っていたのだろう。


なんだか現代人が負けている気がしてならない。

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