http://kote5120.blog.shinobi.jp/%E9%AD%82/%E6%8C%87%E6%A8%99%E3%81%AE%E7%84%A1%E3%81%84%E3%81%93%E3%81%A8%EF%BC%8F%E5%BD%A2%E3%81%AE%E7%84%A1%E3%81%84%E3%82%82%E3%81%AE指標の無いこと/形の無いもの
世の中にはありとあらゆる指標があり、
また形もいろいろなものがある。
例えば指標ならGDPとか為替レートとか、
形なら家電など小売店で買えるものから
街や建物など、様々なものがある。
こういった、わかりやすいものは
世界中ほとんどの国にも理解/導入され
各国とも国の運営(?)や活動に
影響を与えているものと思う。
けど、そうでないものも
世の中には存在している。
感情に訴えるようなものだ。
たとえば、絵画や文学、さらには
気持ちとかというものもある。
言わば非物質的なものだろうか。
わび、さび、とか。
この点については必ずしも
世界中の多くの国で理解ができているとは
正直なところ、思えない。
こういった、形無いものを感じる能力は
日本人にはある一定レベル備わっていると思う。
他には東南アジアや欧州(英除く)には
こういった感性が備わっているように個人的に思う。
対してアメリカ大陸や東アジア圏には
こういった感情に乏しい感じがする。
気のせいだろうか?
そして、鎖国時代まではこの能力が
ものすごく高かったのではないかと思う。
開国以降は上記のような考え方が流入し
感性の面で衰えた感が否めないけど。。。
こういった能力、失って良いのだろうか?
こういった能力が備わっていることで
モラルや社会秩序、生活のデザイン、
安易なものへの嫌悪など、
より心の充実が得られるのではないだろうか?
こういった能力を失い始めてから
悲しいニュースが増えたのではないだろうか?
と、思った。
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