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原子力発電所が昔話で語られるとしたら・・・

昔話には道徳心を育むものとか、
その地域に古くから伝わる言い伝えとか、
行動を戒める掟的なものとか、
いろいろと学ぶべきことが多い。

その昔話という土台で
原子力発電所を語ったら
どのような話になるだろうか?

原子力発電肯定派から見た話だとすると
似ている話というのは
小判がザクザク出てくる壺だとか、
欲しいものを思い描いて臼を回すと
無限に出てくる、というような内容だろう。

この手の話は昔話では
おそらく全てがバッドエンドだと思う。
違うかな?

なぜこの手の話がバッドエンドなのか、
そこをよく考えることで
日本人が共有している行動規範や価値観を
見いだすことができるのではないかと思う。


逆に原子力発電否定派が話を作ると、
開けてはいけないと言われた封印を解いてしまい
その地に災いがもたらされ荒地になった、とか、
楽をして儲けられるという話に乗って
最終的にはひどい目にあった、とか、
そういう話になるのではないかと思う。

どちらにしてもバッドエンド。


なぜそうなるかというと
昔話で正とされる人物像/生き方像は
正直にコツコツと、無欲で真面目に、
そうすれば報われる、という形式が
出来上がっているからだと思う。
全てがそうではないけど、ほとんどそうだ。

原子力発電は夢のエネルギーだ、
核燃料サイクルで皆が幸せだ、というような
ほぼ無限に何かが得られるという考え方に対して
昔話というのは否定的に捉えている。


もし昔話的な土台で原子力エネルギーを
受け入れるようなことがあるとしたら、
それは人間が放射線に対しての耐性を得て
その中で暮らして行く、という形だと思う。
いわゆる、竜になったり馬になったり、
そういう類の昔話だ。
原子力エネルギーの中に適応していく、
そういう話ならあり得るのではないかと思う。
往々にしてそういう場合は
普通の人間から見たら醜い姿になった、
一方向しか見ていないような姿だと思われる。


僕は原子力発電否定派だ。
この点についてだけは安倍政権を推せない。

その理由は処理に何万年も要することや
人体に悪影響があることがわかっているからだ。
そしてその恩恵を受けている人と受けていない人、
この両者の関係も歪な関係だと考えている。
長期的に考えて、成立しないものだと見ている。
原子力発電のリスクは技術でどうにかなるとか
そういう話とは違う。

昔話に当てはめると答えが見つかるかなぁと
思って今文字にしてみたけど、、、
後で読み返してもう一度考えてみたいと思う。
いや、もう一度でなく、何度も考えてみたい。


頭で考えず心で決める、という言葉があるけど、
昔話に当てはめて考えるというのも
選択をするときの判断材料として
一つ使える手段なのかな、と思った。

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