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個性の下にあるべきもの

人それぞれ、十人十色。
一人として同じ人はおらず、
皆が皆、個性を持った存在だ。 しかし、個性のみに重視しすぎてしまうと
意見の違いを生む機会が増え、
共通点を見いだせなくなり、
マイナス面も出てくるのではないかと思う。


そういう点を考えると
ただ個性だけということではなく、
他にも大切に育む必要のある点があると思う。


ひとつは他人を理解する気持ち、かな。
他人を受け入れる能力とも言うかもしれない。
自分の存在のみを肯定し、
他人を排除するような考えをしてしまうことは
どの文化/社会においても混乱を招き、
傷つけ合うことにつながるんじゃないかと思う。
そうではなく、他人を全肯定しなくとも、
その存在を認め、考えを理解するよう努めることが
社会形成に重要な意味を持つのではないかと思う。


もうひとつ、アイデンティティだろうか。
文化や属性というのは重要だと思う。
人にはそれぞれ下地が必要で、
それ無しには生きることができないだろうと思う。
食事にしろ何にしろ、必ず影響を受けている。
そして属している。その下地は変わらない。
それにより自分がどうなのかという姿があり、
その上に個性が乗ってくるはずである。


あとは常識や倫理かな?
文化や風習が異なれば当然異なるけど
個性を確立する上でこれらを無視した場合には
いわゆる「悪」や「罪人」の烙印を押される。
これら社会の規範を守りつつ個性は確立されるべき。
そう思う。



つまり言いたいことは、
個性というものは
あまり小さい頃から伸ばそうとせずに
社会常識が身に付き、人格形成された頃に
自然と湧いて出て来るものであって
誰かが誘導してはいけないのではないかと、
そう思ったわけである。

人は人に対して、積極的に個性を伸ばすような
誘導をするのではなくて、社会の一員として
どうあるべきかを教え導くべきではないか、
ということ。

我々がこの社会で生きていく上で
道を外れた人間がいることは
残念なことであり災いを招くことである。
一人一人が他人事と考えずに
道を外れそうになっている人間を
(特に人格形成できていない子ども等)
どうあるべきか諭すことが必要だ、と思う。


どうだろうか?

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