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生き方の美学

中野孝次 著 / 文藝春秋 刊 中野孝次さんの書いた本は前にも
足るを知るを読んでいるが、それに続く2冊目。
というか、著者をあまり気にせず本を選んでいるので
同じような本を買うと自然とかぶってくるわな。。。


さて、この本はその中野さんの書いたものではなく
こう生きるべきではないかという古今東西の話を
まとめてある本であった。

どのように生きるかについては
人それぞれ、いろいろと考えがあると思うけど
やはり美しいと言える生き方もあれば
そうでない生き方もあり、
それらをどのような考えのもとに判断するのか、
どういう美しい生き方があるのかを考える上で
本書は一つの役割を担っていると思う。


具体的にどのような話があったかは以下。

・真の賢者は、人民とともに耕作して食い、朝食夕食の炊ぎなど雑用をもいとわずして、政治もみるものなのだ
・沢村貞子の育ったのは昔の浅草で、そこではいろんな職業の人々がごちゃまぜに暮らしていたから、学校の成績だけで人をはかるようなバカな見方をする者は一人もいなかった
・孔子さまが言われた。粗末な飯をたべ、水を飲み、腕をまげてそれを枕にする。正しい暮しなら、そんな生活の中にもおのずから楽しみはあるものだ。道ならぬことで金持ちになったり、身分が高くなったりするのは、私にとっては浮雲のようにはかなく無縁なものだ。「論語」のこの言葉は江戸時代三百年を通じて、全日本人の共通の心得であった。
・鉄舟は文久三年二十八歳のとき一刀流の浅利又七郎(義明)と立合ったとき、その気に圧せられて手も足も出なかった。
・かつては日にあげず行き来し、ありとあらゆることを語り合う友であった者が、社会に生きるあいだに思想や価値観が変って、ほとんど敵のような存在に変ることも多い。
・親が子供を愛するのは生物としての本能だ。人間にかぎったことではない。むずかしいことではない。ただいかに愛するかがむずかしい。あまやかしてだけ育てるほどたやすいことはない。何の苦心もいることではない。しかし、いつまでも親が保護できるものではない。やがては子供はひとりで世間に立ちむかって行かなければならないのだ。あまやかしてだけ育てるのは、素肌で矢玉の飛び交う激戦の場につき出し、泳ぎを教えないで深い淵に投げ込むようなものだ。
・千年の木は材にしても千年持つんです。百年やったら百年は少なくとも持つ。
・ひと時代まえの、武士生活における剛毅、誠実、高潔の精神―いわゆる昔の日本魂の理想を、青年層にたいして、みずから身をもって体現しているからなのである
・百年たった今になってみると、この青年たちの方針―徳よりも実利の学をという―が国家をみちびいてきた結果、現代日本はまさに世界でも珍しく「徳」というもののない国になってしまったのではないか、と思わざるを得ないのである。ケーベル博士やハーンたちがあのように賞賛した古い日本の美徳、それを体現した人たちが、いま一人でもいるだろうか。




時代時代で正しいとされる考え方が
変わるのは当然だろうし、必然だと思う。
けど、先を見据えて、このままでいいのかどうかを
やはりひとりひとりが考えるべきだと思う。
この本に書かれた内容がすべてだということは無いし
そうあってはならないと思うけど、
多くの人が心を失っているように見える今の社会、
理解しがたい事件が起きるようになったこの社会、
何かが違うのではないかと思えてならない。

「徳」「正義」「情け」など古くさいかもしれないけど、
こういうものが必要な時代なんじゃないか、と思う。






・生き方の美学 (文春新書)

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